竹を割ったような人生の先輩
こんにちはっ!猪菜でございますっ!
先週の土曜・日曜日と、このブログの最初の記事の恩人としている方主催の勉強会に行ってきたんですね。
そこで、もうなんか、「あの方も凄し!この方も凄し!」ってなったんですよ!
THEデキる女とか、イラスト職人さんとか、中国語できるお花の先生とか、もう、とにかく誰もかれもが凄いって思って、凄い凄いを連発してたんですね。
本当に驚いて凄い凄い言っていたときに、ある方に言われたんですよ。
「って言うかさあ、人の事凄いって褒めてるけど、
自分の事も褒めたら?」
って。
その時、ショック受けたんですよ。
もう、とにかく盲点だった所を突かれたんですね。
自分が自分にしてあげられることをしていないって思ったのですよね、それを言われた瞬間。
的確に的を射てたんですね、そのセリフと言うものは。
どれくらいショックで的を射ているかと言うとですね、私は昔、「マイケル釈尊」って人がいると思ってたんですね。高校生くらいまで。
それがですね、友人から「マイケルの話してるの?釈尊の話してるの?」って聞かれたくらいのショックなんですよ。
「マイケル釈尊は凄い!!!」って言っていたら、そう言われて、ドカーンって感じのショックを受けたんですよ。
恐らく、誰の周囲にでもあり得る話なんですけどね、そういう人(マイケル・ジャクソンと釈尊がごっちゃになっている人)がいるのは。(ちなみに、マイケル・シャンクションとかタイプしかけてた)
話を戻します。
そして思ったんですよね。
そういうことを言われるのはショックを受けるけど、そこでその人の態度だったり、言葉の意味とかをちゃんと感じてみると、自分にとって大きなアドバイスになると感じたんですね。
そういうことを言う人って、人から避けられやすい事もあると思うんですよ。
「あの人なんか、きつい事を言う」とか「酷い事を言う」とか。
でも、嫌がらせって態度も一切なかったし、言葉の意味を吟味していると、その言葉は大きな大きな後押しになってくれることに気付いたのですね。
このセリフは、なあなあって言うか、事なかれ主義と言うか、「悪い事を友だちやら仲間やらがしていてもいいや」とか、「良くない方向に行こうとしているみたいだけいいや」とかいう人や、「自分の子の一番を阻むあの子は悪い子ね!」とか言い出す保護者とかには、無理なんですよ。
ちゃんとした、と言うか、「自分の為、相手の為の真剣な人付き合い」をしようと思っている人じゃないと出ない言葉なんですよ。
私はそう思ったんですよ。
もう、勿論、このセリフを言った方も、凄い!なんですよね。
決してそれまで、バカにしてたとかは無いけど、お子さんを大きくなるまで育て上げた、しかも綺麗で若い女性だと、凄いと思ってたんですけど、改めて「この方凄い!」ってなったんですね。
でも、しっかり、自分で自分を認めてあげる手段としても、自分褒めるをやろうと思いました。
自分を褒めよう!、ですね。
本当に私が通っている勉強会は、主催者側さんも生徒さん側も皆さんがお手本で、勉強のし甲斐があります!!!
ありがとうございました!